top of page

回避が作る信念

【ある性被害者(当時小3)の記憶】

迎えに来た両親の顔を見て初めて声を上げて泣いた。警察での事情聴取などを終え、帰宅してから母と一緒に風呂に入った。

「お母さんが洗ったらきれいになるからね」。手を泡でいっぱいにして洗ってくれた。

母のやさしさは心にしみた。だが同時に、《私はやっぱり汚れたんだ》とも思った。


提供:朝日新聞デジタル「-性被害に遭った小3のあの日 家族でケーキを囲むまで」


◇この記事を読んだとき、とても切ない気持ちにさせられました。このお子さんの気持ちもわかるし、お母さんの気持ちも容易に想像つきます。こう言ってあげたかったお母さんのことは誰にも責められません。

ree

【図の説明】

◆汚れや嫌悪感があれば誰でも避けたくなります。例えば、「洗う」「拭く」、不安があれば「確認する」ということ。そうやって【避けた】ということは、そうする前には【不安や汚れがあった】ということを証明します。【避けるほど汚かった】と脳が認識してしまいます。

◆一方で避けなければ、それは何もなかったこと(すなわち汚れも嫌悪感も不安感もなし)となりますが、ここで大事なことは【なしは証明できない】ということです。科学的にゼロを証明することは不可能です。そのため、私たちの日常は”ほぼ”なしを基準に営まれています。でも、”ほぼ”が嫌いな完璧主義な人たちは、”ほぼ”なしは、ゼロではないわけだから、念のため洗おう/洗うべき、確認しよう/しなくちゃ と、し始めます。

◆”ほぼ”なしを、念のためと避けると、汚れがあったのだ、不安があったのだということになってしまいます。これが悪循環の始まりです。そうして、なかったものを”あり”に変えることが頻繁に起きてしまいます。あら、大変・・・。これが「回避が作る信念」へと発展します。できるだけ、ガチガチに固まる前に崩しましょう。回避を減らす、回避のルーティンを壊す/ずらす/ゆるめる/なんでもいいから違うことをやってみよう!です。

 
 
 

コメント


新着記事
フォローをどうぞ
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
  • Google Classic

​© 2014 by Miyo OKAJIMA Counseling.

Proudly created with Wix.com

BTCセンター

  • BTCセンター公式
  • Facebook
bottom of page